JSMブログ
2011年を振り返って・・・
2011年12月26日 カテゴリ:マンション総合支援事業部の視点
皆様、こんにちは。
営業部のUです。
2011年も残す所、あと5日間となりました。
今年は、東日本大震災による地震、津波、原発事故と、戦後最大の
災害の年となりました。
この場を借りて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
またお怪我をされた方々の1日も早いご回復を願っております。
そして、家族を亡くされた方々の想像を絶する辛さ、悲しみが、少し
でも癒える事を祈っております。
私も人的被害はありませんでしたが、3・11の日は仕事の調査で
国会図書館におりました。
あの地震の時、1階の部屋におりましたが、尋常でない揺れを感じ、
「建物が崩れるかも知れないな・・・。その場合、部屋と廊下と
どちらが生き残れるのだろう・・・。」
と、倒壊に巻き込まれる恐怖を感じていました。
そんな事を考えて上を見ていましたら、私の頭上左手の廊下の壁
がボロボロと崩れてきまして、さすがにこれはやばいと思い、
ダッシュで出口の方へ走りだしました。
何十人もの人たちが1階出口へ殺到し、我先に外へ逃げようと走っ
ておりました。
まるでSF映画で逃げ惑う人々のように、すごい群衆が走っていま
した。
もちろん私もその中の1人だったのですが、出口から外へ出る瞬間
だけは、頭上に降ってくるであろう窓ガラスや壁の破片に気をつけ
ながら、冷静に飛び出したのを記憶しています。
すぐ近くの九段会館では、天井が落下しお2人の尊い命が失われま
した。ですから、東京では大した揺れでは無かったという事では
ありません。
揺れが収まった後は、国会図書館から湾岸のコンビナートの火災が
見え、携帯は全く通じず、近くの人に見せてもらったワンセグの
情報では、群馬、埼玉などが震度6強と出ていました。
まだこの頃の私は、津波被害や原発電源喪失などを全く知らず、
ひたすら帰宅難民として、約30kmの距離を10時間かけて歩いて
帰りました。
途中、都内の歩道で、心肺停止で倒れている人を救命している場面
にも遭遇しました。
やっとの事で、家に着いたのは午前2時半です。
津波被害や原発事故を知り、未曾有の大災害だと認識するに至った
のは、家に帰宅した後でした。
皆様も3・11の日は、それぞれの場所で大変な経験をされたと
思います。
来年2012年こそは、日本が明るく素敵な年になるように、願うばかり
です。
今年最後のブログは、どうしても東日本大震災の総括をしておきたく
て、個人的な記述になりました事をお許しください。
来年も『マンション修繕入札サイト』を、どうぞよろしくお願い
いたします。